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2014年5月28日水曜日

マッカーサー証言を正しく理解する

以前、「東京裁判#001 マッカーサー証言(1)でスタートしたシリーズですが、幅がありすぎました。小口に分けていきます。

↓前回ブログ マッカーサー証言(1)はこちら↓

↓トルーマン/マッカーサー ウェイキ島会談議事録↓

↓米国上院軍事外交委員会 マッカーサー証言議事録↓
"MILITARY SITUATION IN THE FAR EAST" THURSDAY, MAY 3, 1951 - COMMITTEE ON ARM SERVICES AND COMMITTEE ON FOREIGN RELATIONS - UNITED STATES SENATE 
http://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2003/maca/10/MacArthur1.html

ウェイキ島会談議事録P12-6行目以下。マッカーサーが朝鮮戦争の戦犯取り扱いについて語る箇所ですね。このくだりは、マッカーサー自身が東京裁判が誤りだったと認識していた根拠としてしばしば引用されるところです。
Don't touch the war criminals. It [doesn't work]. The Nurnberg trials and Tokyo trials were [no deterrent]. In my own right I can handle those who have committed atrocities and, if we catch them, I intend to try them immediately by military commission.
前回のブログで「失敗、抑止力はない」という翻訳は疑問と説明しましたが、もうちょっと突っ込みます。

第一に、ウェイキ島議事録は非公式記録で、その証明力に疑問があります。それはマッカーサー自身が議会証言で説明しています。

欧米の通常の議事録は厳格です。速記タイピストが出席者と同室に立てられ、議事録が録られることが公にされます。ウェイキ島議事録は、会談が行われた部屋の隣の部屋にタイピストが居て、聞き耳を立てて記録を取ったことが分かっています。マッカーサーもそれに気がついてはいましたが、「公式議事録」とは認識していませんでした。

マッカーサー証言議事録をつぶさに読むと、その違いがわかるでしょう。時折議長が「ただいまの発言は国家機密のため、議事録から削除してください...」など速記タイピストに指示していますよね。失言、関係ない発言もそのような処置がとられます。ウェイキ島の方は、そのようなことはありませんでした。会談は非公式会談で、速記はもっぱらトルーマンのメモ代わり程度だったという印象を強く受けます。だから、マッカーサーはあまり気にせず、率直に私見を述べています。

マッカーサーは議会証言のなかで、もう一つ重要な発言をしています。後にウェイキ島議事録の写しをもらったが、見もせず放っておいたと言っています。公式の議事録だったら、自分を含めて出席者の発言がきちんと反映されているかチェックして、間違いがあれば訂正を依頼し、問題なければページのどこかにイニシャルサインをして送り返すのが通例です。そのようなことはまったくしていません。非公式会談と認識していたか、どうせ好きなように書かれるのだから...と諦めていたか、どちらかです。

もう一つ、私にとってはとても重要な点です。

ウェイキ島でのマッカーサーの発言は、ハリマン大統領特別顧問の唐突な質問に答えたものです。マッカーサーが答え終わると、トルーマンはさっさと話題を変えます。まったく感心がないか、話したくない内容、といった様子です。

そしてこのハリマンは、第二次世界大戦最大の黒幕なのです。

この男はは、ユダヤ人実業家、銀行家、外交官、政治家ウィリアム・ハリマンであり、かの鉄道王エドワード・ハリマンの息子です。

まず、エドワード・ハリマンは、ヤコブ・シフとともに日露戦争の国債を一人で1千万円(当時)引き受けた人物であり、戦争の勝利で日本が得た南満州鉄道の共同開発で巨額の出資を日本に申し入れた人物です。日本はこれに合意して覚書に調印しましたが、小村寿太郎外相の反対で日本が一方的に破棄しました。戦争国債の恩を忘れた最大の愚業で、以来日米関係が顕著に悪化し日米開戦に至った訳です。

この愚業については別途触れますが、とにかくその息子ウィリアム・ハリマンが特別顧問としてトルーマン大統領に同行し、ウェイキ島会談に居たということを理解してください。その上で、この男がどういう男か説明します。

ヒットラー率いるナチ党を金融面で支えたのは....
 ・ウィリアム・ハリマン (ユダヤ人)
           +
 ・プレスコット・ブッシュ (前米国大統領の祖父)

これはそこらの陰謀論ではありません。事実です。1942年、米国当局は、二人が役員兼株主である銀行等の資産を「敵国との貿易に関する法律」違反で差し押さえました。

しかも、彼らは一連の取引から膨大な利益を得て、ブッシュ一族はこれを政治基盤にしたと言われています。

戦後60年、アウシュビッツの強制労働生存者2名がブッシュ家と米国政府を相手取った数十億ドルの損害賠償訴訟をドイツで提起し、その証拠書類や、2003年頃から米国で公開された機密公文書がすべてを証明しています。

↓詳しくはこちらを参照ください(英語だが重要)↓

↓さらにこちらも↓
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/horouso.htm
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc616.html
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/afrank.htm

!!!!! すべて読んだ方は驚愕するでしょう !!!!!

1946年、リュールンベルグ裁判でナチ戦犯が裁かれ、東京裁判も同年はじまりました。

もう一度繰り返します。1942年頃からハリマン・ブッシュがナチ党・ヒットラーを支えていることが米国内でわかり始めていたのです。

ウェイキ島会談は1950年です。そこで、マッカーサーは「戦争犯罪人製造マシーン」ハリマンに、「朝鮮の戦争犯罪人はどうするかね?」と聴かれたわけです。

会談議事録、議会証言、歴史の文脈をすべて考慮のうえ、マッカーサーが答えた英語を翻訳すると、こんな感じではないでしょうか。
「馬鹿かお前?お前が戦争犯罪人支援したもんだから、米国が正義の味方で国際裁判やっても説得力が全然ないだろうが!しょうがないから、俺の責任でさっさと処刑して、すべては俺がかぶるしかないだろうが!」
.... トルーマン沈黙。
ま、これはちょっと漫画ですが、マッカーサーは軍人ですから、国際法上のテクニカルなことよりも、現実論だったと思います。公の場で時間をかけて議論すればするほど、その矛先は米国に跳ね返ってくると悟っていて、戦争抑止どころか反米勢力の台頭を恐れたのだと思います。彼の恐れは当たっていました。我々はその現実を今見ています。

彼は、日本の大東亜共栄圏構想を侵略戦争と誤認して叩き潰した結果、中露共産圏の台頭を許すことになるとも案じましたが、そのとおりとなりました。

彼は政治も理解する最高の軍人でした。これに嫉妬したトルーマンが彼を解任したのです。この政治と軍事の分離を懸念した米国上院が1951年にマッカーサーの貴重な経験を拝聴するために公聴会に呼び、1952年、政治・軍事を包括した国家政策を目指して現在のNSA、国家安全保障局が誕生したのです。

ちなみに、南東シナ海の緊張問題に対処する集団的自衛権の議論は、米国公認の大東亜共栄圏であると言って良いでしょう。皮肉なものです。

なお、私は東京裁判が国際法上問題だという議論は支持しますが、勝てる訳がない戦争に突き進み多くの国民を失ったことの責任は時の指導者にあると思っています。また、大東亜共栄圏構想実現の過程で韓国、中国などの隣国に何らかの苦痛を与えたことも率直に認めます。ただし、ドイツ・ナチ党の問題と絡める韓国の立場にはまったく同意できません。歴史不勉強ゆえの誤認としか言えません。靖国参拝は、現状靖国が政治プロパガンダ化していることに鑑み、反対します。早急に政治から切り離す仕組み作りが必要だと思います。

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