このブログを検索

2014年4月6日日曜日

極東軍事裁判(東京裁判)#001 - マッカーサー証言(1)

東京裁判の不当性を主張する側は、しばしばマッカーサー証言を引用する。彼は、東京裁判が誤りであったこと、日本は侵略戦争を行ったのではなく自衛戦争を行ったことを自ら認めたという。

この主張の論拠は以下の2つである。

① トルーマン・マッカーサー ウェイキ島会談議事録
Substance of Statements Made at Wake Island Conference - October 15, 1950
http://www.trumanlibrary.org/whistlestop/study_collections/koreanwar/documents/index.php?documentdate=1950-10-15&documentid=ki-9-4&pagenumber=1

<該当部分:P12-6行目以下>
Don't touch the war criminals. It [doesn't work]. The Nurnberg trials and Tokyo trials were [no deterrent]. In my own right I can handle those who have committed atrocities and, if we catch them, I intend to try them immediately by military commission.

② 米国上院軍事外交委員会 マッカーサー証言議事録
"MILITARY SITUATION IN THE FAR EAST"
THURSDAY, MAY 3, 1951 - COMMITTEE ON ARM SERVICES AND COMMITTEE ON FOREIGN RELATIONS - UNITED STATES SENATE
http://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2003/maca/10/MacArthur1.html

<該当部分:P32-中段>
... It is my own opinion that [the greatest political mistake we made in a hundred years in the Pacific was in allowing the Communists to grow in power in China].
... I believe it was fundamental, and I believe we will pay for it, for a century...

<該当部分:P57-中段>
... They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated [by security].


東京裁判不当論者は、上記①、②を総じて、日本国とその指導者たちが侵略戦争を仕掛けたと断じた裁判は誤りだった事をマッカーサーが認めているという。日露戦争・朝鮮併合・日支戦争で日本が築いた対共産主義防衛線を米国が解さなかったこと、その誤認による経済封鎖で日本が自衛戦争を選択せざるを得なかったことをマッカーサーが認めているというのだ。

しかし、この主張はマッカーサー発言の背景、根拠書類の意義およびグローバルな文脈と引用個所の関係を考察しきれていないと考える。

また、邦訳においては、「会話」の速記録であることを軽んじ、主張に符号するような辞書的なものが多いと感ずる。一例は「It doesn't work」だ。これはMistake、Wrongとはちがう。「XXXXという目的遂行上うまくいかない」ということで、XXXXを前提に邦訳しないといけない。もう一例は「by security」だ。「安全保障上」、「自衛のため」と訳すこともできるが、前段の「失業者が1,000万から1,200万人生じるため...」を受けており、全体の文脈からしても「治安上」と邦訳するのが正しいのではないか。

前号では、戦後70年近く放っておいた歴史認識の重要性を説いたが、ネット上では根拠書類をろくに調べず、他の人が言っている事を伝聞的に「事実」として拡散するユーザーがあまりに多く嘆かわしい。

歴史認識は決して単一ではない。それは味覚と似ている。納豆が好きな人もいれば、大嫌いな人もいる。それぞれが感じる味覚はどうやっても相手を説得することはできない。互いの味覚を尊重するしかないのだ。歴史認識とて同様。様々な認識が交錯し、主張し合い、最後は尊重し合えばいいのだ。その全体像が歴史認識を形成するのではないだろうか。

次号では、マッカーサー発言の意味合いをもっと深くさぐっていきたい。






0 件のコメント:

コメントを投稿